お盆ごろの横浜港

お盆半ばの横浜港。

赤レンガ付近。

台風のあと。

涼しいけどしけてました。

お盆はアウトドアはあんまりできなかった、けどここまで暑さや台風で動けない年も珍しく、天気も午後から晴れの予報も、確か外れた日でした。



否定語の使用をする場合ー

そんな事有るわけない、いってない、してない、記憶にない、ーじゃない、想像で使う場合のーじやない?の推測の意味とは違います。

断定で使う場合もありますが方言には少なく関東の人に埼玉茨城以南に多いけど、それは人次第な聞こえ用も。


だけど否定のーじゃないは、親しい間柄や付き合いが長い場合には、癖だとあきらめつつも、とくに気分であわせたり合わせなかったりを、大事な内容、体調や防犯や仕事、ほかの友人知人親族で大事な関係つながりのことなどを話していて、気分で使われると多大に不快になり、かえって絶縁になりかねないほど、こちらの気分体調害す場合が多々あります。

社会や仕事である程度抑えていても気質は分かるもの、わかる人には。

また、それを特定の相手や気分でだけ、つまり、1人ではなく、何人かやさらに今までより距離が縮まり自我が強くでた場あいに使う人がいます。


こうした人は大抵の場合は内気で普段からコミュニティが不得手、喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプの場合も。

几帳面な人には少ない、躁鬱の波が他人より激しく、あまり自分をしらない、または知っていても、わかっていて使う場合も。

そういう場あいにはえてして、エニアグラムやエゴグラムが反対で、親が使うのを嫌い反発した時期がありながら、トラウマから親しい間柄の誰かに繰り返す場合が。

協調性がかぎりなく少なく自分を貫きすぎるのは時としては、やっかいなもので、こんな場合はなんの相談にならない場合も。

家族にも友達にも、そういう事に向く人向かない人がいるけど、わたしには出来ないと言ったも同じに。

ただ他のことで合う場合もあり、やはり向き不向きにより役割てきに付き合い分けるのがいいのか、しかし母子親子父子親子、また子供がいない夫婦などで日常に悩みなど深いものがあった場合にはー、中々厄介なことに。


大抵の場合その人の口癖や習慣は、親の真似である場合がかなり。

私の知る人はその傾向が反発しながらかなり。

しかしわたしの家族も性格は様々で片親の癖だけの場合や、親も祖父母にあまり似ない場合も。

曽祖父母のどちらかに親がにた場合も。

義理の付き合いなどで嫌な思いをした場あい、真似をするものかと思ってる人と、他人にしてしまう人がいるようだ。

仕事づきあいや学校での関係でも。

私がしる人の中でそういう人は2-3人だけど、特にひどい人の癖を知る人は僅か。

共感や協調をしたしくなったからと安易に求められず、相談事ができない。

その人と付き合う場あい忘れてはならないのだが、いいときはいいので、ついそこまで気分が違うと思わないで、深手を被ることに、言い出したら長い場合がその手の人には多い。とまらない場合が。

相手の気分体調を巻き込んでしまう、

なんだかノイローゼのよう、決して強い人じゃない。

こんな人が家族友人知人親族同僚にいる場合の協力の取り付け方というものは中々厄介なもので、落ち込んで悩み近づいても逆効果になる場合がかなりです。

共感を求める女性たちより男性におおいのか?育った環境や兄弟構成に関係あり、親の真似がほとんどです。違う場合もありますが大体は。


こんな言い方をしたが最後、二度と関わりたくないと大概は。

ほんとにそれでいい、またはそうなる筈がないとタカをくくっているから出来る事だけど、心の奥底では付き合わなければよかったと思われるのが大概です。

永遠に別れたい場合以外は、しない方がいいのです。

味噌は、永遠に別れたい、です、繰り返した場合。

大事な相手なら、また長く関わりたいのなら関わらざるを得ないなら、ここまで嫌がられることは考えて、変えることも必要だけど、人は育ちや習慣や癖は中々に。

大嫌いで牽制を意図してする相手もいるようだけど、親しい人や大事な人らにも同様である場合が大概で、難儀です。

ぐねぐねネチネチと、相手からしたら離れたい関わりたくないのは、私だと、思われていることに、案外、気がつかないのです。

夜の公園

夜の公園。

静かで気持ち良く、少し水辺が。

ずっといたいような場所です。


もう少し木や花があればいいけど少ないです。