自己管理

蒸し暑い日が続いている、誰しも辛いけど、ずっと冷房がきく場所に昼間いて夜中調節出来ずにいる大人の家族にうんざりすることも。子供がいたら自分が調節してやらねばならない、老いた親や幼い孫も同様にいたらせねばならない。だが自分のことで大騒ぎだ。

また、ずっと血族の不調から自分が不調になり頼みや甘えから欲求を通して家族を自分の都合に巻き込みながら、感謝せず少しペースがつかめてくると、我を張り違う、そうじゃない、ああじゃない、しまいに私は関係ない、と我をはる人を家族にもつと、気苦労が絶えなくなる、とっくに相手には仲のいい人などいない。

懐かしがっても自分からは何もしない

、だのに私には言うことを繰り返し、調子次第で言うことが変わる。

あまりに不安定、情緒不安定で、実家のものさえ嫌がる始末。

実家には実家のストレスがあるし、両親は祖父母のような価値観じゃない。

しかしながら、ムキになり助けて欲しがるかと思えば、けろっと関係ないとか、思ったけどとかいいながら、言うことがコロコロ変わる。

自分でも助けてほしがりながら、散々やったあとから、そんなこと言ってないとか関係ないとか自覚がない。

躁鬱病なのかと思ってしまうことさえある。沈んでいる時と調子いいときや休みあるなしや何をしていたかで、これほど言うことがかわるのも珍しい。

以前から感じていたことだ、もう長い、かなり前にもブログに書いたことがある。

波がありサイクルでそれを繰り返している自分に気がつかない。

いつになったら自分で自分を知るんだろうか?

突然頼りになったり気がついたりする時もあるが、突然忘れぽくなったり、ーじゃないと頼んだりしたことや甘えたことで、我を張り出し止まらなくなることも。

挙げ句の果て、関係ない、知らない、その他諸々どの件であれ親たちにも見切られるほどだ。

2年前に亡くした血族の墓もまだ建たない、今の場所から引っ越しもしたがるが叶わない。

それ以外のことも頼むだけ頼みながら自分からは動かない。

人に頼んだり甘えたりするが結果、頑張ってもあとから嫌な目にあうのは周りの人。頼まれ世話しても報われない。感謝もしない。やらせながら関係ないと礼はない、礼に欠ける。

じゃあ本気で言わなかったのかといえば、相当に切羽詰まって嘆くからとすればそんなことになるのを繰り返すばかり。

愛想がつきるのも相手に希望を感じなくなるのも、付き合った家族のほう。

 いつもどの件でも同じようなことの繰り返し。それは本人がそんな自分をいつまでも自覚し自己管理できないから。

 自分がどんな人間かを欠点を指摘されずに育ったから。いや言われてもそういう気質だから血族もあきらめてきたのかもしれない。

 しかし年齢とともに人はだいたい自分を知る。しかしながらいつまでもそうなれない人もいるようだ。仕方ない。仕事ではあまり見せてないようでいるようだかわかることはあるのかもしれない。もうすこし自分で自分の感情やあり方や自我を調節できないものなのか?

 休みが長すぎるとうんざりしてくる、今夜はほとんど休ませてもらえなかった。すこしラジオか音楽でもきけばといったがそれもしなかった。なら本読むか、とか。蒸し暑いしたしかに寝苦しいが、もともとの気性もあるようだ。

 暑さの調節も自分で叶わない、おかしな大人だ。寒さも同様だ。毎晩アタマが痛いと最近は、なら市販の薬をのめばいい、ストレッチやシャワーや散歩もいい、会話もいいがそれは相性にもよる、テレビやラジオもいい。とにかく気分転換さえ自分からは行わない。調節がへたなのは何にも増して迷惑だ。子供がいつまでもぐずつくような、しかし子供より手に負えない。私も蒸し暑く、帰省もせず、好調ではない。が相手を頼りにできたことは10年以上ない。出かけたりはするが、波の激しさやコロコロ気分がかわるのには手に負えない、しかも調節が自分自身にできず、気分も体調もその日任せだ。

肩こりや暑さや悩み事から私もながく休めず病気になって慢性化したものが、だけど、こんなに思いつめたあとから感謝しないとか、関係ないとか言う人も、自分だけ休み私が眠れなくても構わないとか見たことがない、また、私の不調には長らくかまわない。し゛ふ゛んのことは゛かり、あけ゛くかんけいない、をくりかえす。みたことない。